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Jimi Hendrix, Electric Ladyland

Apple Musicで、色々、昔のロックを聴いていて、ついにジミヘンまで来てしまった。

Electric Ladylandは、中学生時代に友人が昔の裸の女性のジャケットのLPを持っていて、カセットでダビングしてもらって聴いたのだけど、実験的な録音が好きになれず、今まで特に聴こうと思わなかったミュージシャンなのだけど。

クラプトンのクリームにしても、60年代後半のサイケデリック・ブームが僕の音楽遍歴で邪魔にしていたというか、混乱させていた様なのですが、反対に、このブームでメジャーの音楽として一般に紹介されてきたので、今でも聴くことが出来るわけなのだけどね。

Electric Ladylandを聴く前にジミヘンもApple Musicに入っていたライブ盤を聴いていて、クリームの様にレコード会社の売るための思惑でサイケデリックなスタジオ盤を作成していたのかなと思っていたのだけど、クラプトン、クリームとは違いジミヘンのスタジオ盤はジミヘン本人が音楽の限界を探していた様な気がする。 

この結果がElectric LadylandのLPで、ファンカデリック、プリンスと繋がる黒人音楽の作品であり、ここでジミヘンが弾いいている楽器は、たまたま、時代的にエレクトリック・ギターと言う楽器であっただけで、他のギタリストとは異なりギターを弾くための音楽、弾いた音楽ではなく、ジミヘンのイメージする音楽をギターで表現した。ジミヘンがもし生きていたら、多分、ギター以外の楽器が中心となっていただろうな。

jimi

Trafic

Dave Masonが参加していたTraficの作品三枚を大人買いでは無く、大人聴き。 Apple Musicなので何枚聴いて、ダウンロードしても同じ料金なのだけど。

Mr. Fantasy - 1967 Traffic - 1968 John Barleycorn Must Die - 1970

僕が好きな60年代のロックの流れを再確認している様な感じなのだけど、こうやって当時の音楽を聴いていると、今まで腑に落ちなかったEric Claptonとか、Rolling Stonesの変化を当時の音楽の流行と比べて聴くことが出来るので、ClaptonにしてもStonesにしても当時の音楽の流行の影響を受けて作品を発表せざるを得なかったと言うか、先端の音楽を演っているうちに時代の変化について行ったのか。

こんなことを考えていると、音楽ビジネスまで考えてしまった。

70年代に中学時代、高校時代を過ごした世代なので、流行していた音楽はアメリカン・ロックからクロスオーバーの時代。 レイド・バックしたアメリカン・ロックには馴染めなくて、中学、高校時代は流行に反して60年代後半のブルース・ロック、イギリスのハード・ロックプログレのレコードを聴いていた。 これは学校とか社会にいちばん反発を感じていた時代なので、音楽にもそう言った反社会的なことを期待していたのだろう。 だから流行していた音楽を聴いている意識は無かった。

Apple Musicで60年代末の音楽を聴き直していて、インターネットで検索していると、なんと無く 違和感を感じていた。

その違和感とは、ブルース・ロック、サイケデリック・ロックは当時の流行の音楽であり、そこには流行=金儲け=ビジネス、別の面からはスターである事。流行してから好きになった訳で無く、スターであったから好きになった訳でなく、反抗期だった当時の僕は60年代後半のロックの音を生きていくために必要としていた。

だけど、これらの音楽がレコードとして販売され、今でも聴ける事は、当時、流行する=金儲けになると考えてレコードが発売されていた訳であり、クリームはシングルでは、アルバムでは、あくまでも当時のサイケデリック・ロックの流行を取り入れた作品。 ライブとしてはボーカルを中心としたブルースの形式からジャズのジャムセッションの形式取り入れたバンド。だからスタジオ録音盤に違和感を感じて、ライブ録音盤を聴いている。

その前に、イギリスで米国のブルース、R&Bブームがあった時、その米国のブルース、R&Bを自分達で演奏していたのがジョン・メイオールだったのだろうし、クラプトンもワインウッドも、ブルース、R&Bが好きで、その奏者だったのだろう。  とは言っても、日本のグループサウンズの様に、一般的には米国のブルース、R&Bそのままでは無く、イギリス人が解釈したブルース・ブレイカーズとかが英国で流行したことは理解できる。

それがクリームになって、本来はボーカルを中心としたブルースを楽器によるアドリブを中心にしたジャズに拡大したクリーム。 それが作品の販売とは別に失敗して、米国のR&B、スワンプに行ったのかな? 流行とは別の次元で、本人の音楽的嗜好の結果として。 レイラもロング・セラーにはなっているが、発売当時は売れなかった様だし。

ローリング・ストーンズが憧れのシカゴのチェス・スタジオに行った時に、マディ・ウオーターズがペンキ塗りをしていた逸話もあるが、ブルースのミュージシャン、米国の白人ブルース・プレーヤーも、イギリスのロック・スターであるクラプトンとかストーンズとは違って、音楽で生計を立てているプレイヤーだった様だし。だから、ジョニー・ウインター様に100万ドルの契約金とか、スーパー・セッションの様にレコード会社のコピーだけが空しく紹介されているけど、中身は流行とかレコード会社の思惑とは別にリアルな音。 

Apple Musicの場合、全くライナー・ノーツが無いので、インターネットで調べて聴いているけど、反対に情報だけが先に入って、音楽に集中できていないことを反省。

知名度としてDave MasonはEric Claptonに劣っていてるけど、Claptonは、この時代のDave Masonを気にしていていたのでは?と、ニヤリとして聞いてしまう。

fantasy

trafic

john barleycorn

Spencer Davis Group

Apple Musicで、Dave MasonからTraficを聞いて、The Spencer Davis Groupまで遡ってしまいました。 名前だけ知っていて聴いたことの無いバンドだったのですが、もちろん良いです。 Spencer Davisがリーダーでバンド名になっているのですが、実際はSteve Winwoodのヴォーカルとキーボードが評判のバンドで、John MayorとEric Claptonの様な関係だったらしい。 Steven Winwoodは、Spencer Davis Groupに参加する前に、アメリカのブルースマン達の英国公演でバックをしていた書かれているし、Their First LPに参加した時はまだ16歳だったそうです。

Their first LP 1965 July spencer1

Second Album 1966 Jan spencer2

Autumn 1966 September spencer3

Dave Mason

ここ2年くらいブルースばっかり聴いていたのですが、クラプトンの70年代のライブから、クリーム解散以降のアルバムを聴き始めていました。 昨日、下北沢の古本屋でレコード・コレクターズで、スワンプ・ミュージックの特集があったので購入しました。

ブルース・ロックの流行があって、サイケデリック・ロックになって、そこからハード・ロックの流れがあって、僕が音楽を聴き始めた70年代中期は既にアメリカン・ロックの時代だったのですが、中学生から高校生の僕は流行の音楽に背を向けてハードロックを聴いていたのですが、当時はレコードを購入するか、ラジオ番組を聴くしかなかったので、数少ないFM番組をエア・チェックして聴いていたので、これらのアメリカン・ロックも聴いてました。

ギターも始めていたのですが、当時の僕のヒーロはリッチー・ブラックモアだったので、Dave Masonの巧さは当時は解りませんでしたね。

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ポール・オースター トゥルー・ストーリーズ

新潮文庫版のトゥルー・ストーリーズを読む。このエッセイ集は日本だけでの編集だそうである。映画スモークを見た後、このスモークの文庫本が新潮文庫より発売されていた記憶があったのだけど、この本は既に廃番になっていました。

ポール・オースターについては初期の三部作を単行本が発売された時に読んでいる僕にとっては唯一の外国の作家なのですが、このエッセイを読んで時代的に納得してしまいました。ポール・オースターコロンビア大学に通っていた時代が学生運動の時代で、だけど本人は学生運動はせずに、その周りで学生時代を過ごしていて村上春樹と同年代なのですね。 僕は彼らより一回りくらい若いのですが、僕は60年代後半に学生生活を送った人への憧れと言うか羨ましさがあるのですが、更に、その時代でも学生運動の中に入れずに違和感を感じていた人の作品が好きなのだろう。

初期三部作を日本での発売と同時期で読んだ後、僕自身の生活の変化もあり、行本で発売されたと同時に読む事は無くなって、それでもムーン・パレス、偶然の音楽、リヴァイアサンまでは文庫本で読んでいたのだけど、この初期のエッセイを読むと、それらの作品が書かれた背景を少し知ることが出来た。 たまたま作家として成功して、映画を作成したりしているけど、普通のニューヨーカーなのだろうな。 或いは作家として成功していなければ、都会の片隅で生活している住人として。 初期の作品はポスト・モダンとしてのかた苦しさと、それが上手く作品として書かれていたけど、それ以降の作品は構造として踏襲しているが、結局のところ構造でしかないのが、何となく物足りなさを感じてしまうのだけど、それはそれで読んでいてテンポよく飽きずに読めるのが良い。

古典では無く今の時代の作家の作品を読んでいると、発売された時の僕身身の生活を思い出してしまうのが思い入れを作り出している。 文庫 本での発売を待たずに、早く新作に追いつかないといけないと思った。

true stories

Paul Auster, Smoke

Paul AusterのSmokeがHuluに入っていたので、鑑賞。 登場人物がやたらにタバコを吸うので、これは映画館で見に行けない作品。 最近、映画館に行くと、タバコを吸う場所を探すのに苦労するので、映画館に行っていない。

映画の内容としては初期三部作の後、ナショナル・ストーリーとか、肩の力が抜けた作品の趣。 これはこれで良いのだけど。 映画のシーンのカットが、今になっては時代を感じされるのだけど、ハリウッドとかの対策とは違ってテンポ良く、ジム・ジャームッシュが出てきた頃のミニ・シアター系のカット。

smoke

Paul Auster, Oracle Night

新潮文庫より文庫版で発売されていたので購入。 

新潮文庫よりの前作の「幻影の書」を読んだ時に、既に、このオラクル・ナイトも単行本で出版されていたので購入しようと思いながら、購入を忘れていた。 柴田元幸氏の書いた文庫版の帯には、「前作の幻影の書が交響曲で、今回のオラクル・ナイトは弦楽四重奏」とのことであるが、クラシック音楽に疎い僕にはよくわからない。だけど、前作の「幻影の署」でポール・オースターが復活した事は理解している。

とは言っても、初期のニューヨーク三部作からリヴァイアサンまでの雰囲気とはちょっと違うのだよな。

主人公の作家が小説を書き始めて、その小説の中で主人公が編集者で未発表の小説が送られてきて、その小説のタイトルが「ミラクル・ナイト」で、と言う構造と、ポール・オースターと小説の主人公と、更にその小説の主人公までは全て一人の分身である構造。 探している相手、観察している相手と主人公が同一化してきて、更に作者のポール・オースターのイメージが重なる事は初期の作品から変わっていないのだけど、なんとなく落ち着いた作品なのは、以前の作品の様に主人公の分身としてアウトローが出てこなくて、主人公の分身が全て社会的には落ち着いたキャラクターだからなのだろう。

単行本では既に新作が3冊発売されているので、今度こそは単行本で購入しよう。 ミステリーとは違い、文庫本になるまでに時間が掛かりそうなので。 

Oracle