Jimi Hendrix、Band Of Gypsys

最近、ジミヘンばっかり聴いている。

 

ジミヘンは1967年にアメリカからイギリスに渡り、サイケデリックブームの中でヒットして、アメリカの1968年のモンタレーポップフェスティバルで凱旋。この後のウインターランドでのライブが色々と発売されていて、ここまでがエクスペリエンス。1967年にイギリスで結成されたイギリス人の白人とのバンド。

 

1969年8月のウッドストックはフェスティバルのために編成されたバンド。

 

1969年大晦日、1970年元旦のフィルモア・イーストでのライブ、バンド オブ ジプシーのデビュー。このライブも色々発売されていて、バンド オブ ジプシー、ライブ アト フィルモア・イースト、初日の演奏も最近発売された。

 

この2日間のライブを最近、ずっと聴いている。

 

今日は、ちょっと疲れて、ここからマービン・ゲイとかのニューソウルを聴いていた。

星を継ぐもの

星を継ぐもの

この本は30年以上前、僕がドイツに駐在していた時に長距離恋愛をしていた彼女から送られてきた文庫本の一冊。

何回が読もうとしたが読む気になれないまま今回のGWで読む。

貰った時からボロボロになっていた文庫本であるが、奥付を観て第三版の1991年の発売であることを知り驚く。 僕がこの文庫本を貰ったのは1991年の筈。

今更、彼女がこの本を選んだ事を考えても仕方がないが。

 

 

 

CREAM ES-335

2年前に購入した1984年製のES-335のネック調整をしてもらった事と、YouTubeでCreamのFarewell Concertで、クラプトンがES-335を弾いいていたので、クリームを引っ張り出して聞いている。

そういえばES-335のネック調整で、自分でトラスロッドの調整をしようと思い、8mmのレンチを色々購入したのだけど、どれもヘッドのザグリが狭くて当たってしまいトラスロッドが回らない。 最後に購入したところで調整を依頼した。

最近、ネットでJAZZ BLUESの入門の記事を見つけて学んでいたのだけど、今年の春ぐらいから弦高が高くなっている事に気がついていたので。

調整してもらってからは、これがギブソンの工場出荷時の高さと言われたのだけど、購入した時よりはまだ高い感じ。

で、クリームの話。

ブックオフレコード・コレクターズの1996年5月を見つけて購入した。

クラプトンのアンソロージー2〜ライブ・イン・セブンティーズが発売された直後の号で、クラプトンのライブの特集をしている。

アンソロジー2の70年代のライブの記録だけでなく、60年代のライブの記録もあり。

クリームのライブは1968年3月7日のサンフランシスコのフイルモア・ウエスト、3月10日のウインターランドでのライブが中心となって『ホィールズ・オブ・ファイヤー』のクロスロード、スプーンフルが収録。

その後、アメリカ・ツアーは秋だった様で、10月4日のカルフォルニア オークランド・コロシアムがライブ・ボリューム2のA面。B面は上の3月10日のウインター・ランド。

YouTubeに1968年11月26日のロイヤル・アルバート・ホールでのFarewell Concertが上がっていて、ここで最初に戻って、ES-335を弾いているクラプトンの映像。

 

 

 

 

Jimi Hendrix, Electric Ladyland

Apple Musicで、色々、昔のロックを聴いていて、ついにジミヘンまで来てしまった。

Electric Ladylandは、中学生時代に友人が昔の裸の女性のジャケットのLPを持っていて、カセットでダビングしてもらって聴いたのだけど、実験的な録音が好きになれず、今まで特に聴こうと思わなかったミュージシャンなのだけど。

クラプトンのクリームにしても、60年代後半のサイケデリック・ブームが僕の音楽遍歴で邪魔にしていたというか、混乱させていた様なのですが、反対に、このブームでメジャーの音楽として一般に紹介されてきたので、今でも聴くことが出来るわけなのだけどね。

Electric Ladylandを聴く前にジミヘンもApple Musicに入っていたライブ盤を聴いていて、クリームの様にレコード会社の売るための思惑でサイケデリックなスタジオ盤を作成していたのかなと思っていたのだけど、クラプトン、クリームとは違いジミヘンのスタジオ盤はジミヘン本人が音楽の限界を探していた様な気がする。 

この結果がElectric LadylandのLPで、ファンカデリック、プリンスと繋がる黒人音楽の作品であり、ここでジミヘンが弾いいている楽器は、たまたま、時代的にエレクトリック・ギターと言う楽器であっただけで、他のギタリストとは異なりギターを弾くための音楽、弾いた音楽ではなく、ジミヘンのイメージする音楽をギターで表現した。ジミヘンがもし生きていたら、多分、ギター以外の楽器が中心となっていただろうな。

jimi

Trafic

Dave Masonが参加していたTraficの作品三枚を大人買いでは無く、大人聴き。 Apple Musicなので何枚聴いて、ダウンロードしても同じ料金なのだけど。

Mr. Fantasy - 1967 Traffic - 1968 John Barleycorn Must Die - 1970

僕が好きな60年代のロックの流れを再確認している様な感じなのだけど、こうやって当時の音楽を聴いていると、今まで腑に落ちなかったEric Claptonとか、Rolling Stonesの変化を当時の音楽の流行と比べて聴くことが出来るので、ClaptonにしてもStonesにしても当時の音楽の流行の影響を受けて作品を発表せざるを得なかったと言うか、先端の音楽を演っているうちに時代の変化について行ったのか。

こんなことを考えていると、音楽ビジネスまで考えてしまった。

70年代に中学時代、高校時代を過ごした世代なので、流行していた音楽はアメリカン・ロックからクロスオーバーの時代。 レイド・バックしたアメリカン・ロックには馴染めなくて、中学、高校時代は流行に反して60年代後半のブルース・ロック、イギリスのハード・ロックプログレのレコードを聴いていた。 これは学校とか社会にいちばん反発を感じていた時代なので、音楽にもそう言った反社会的なことを期待していたのだろう。 だから流行していた音楽を聴いている意識は無かった。

Apple Musicで60年代末の音楽を聴き直していて、インターネットで検索していると、なんと無く 違和感を感じていた。

その違和感とは、ブルース・ロック、サイケデリック・ロックは当時の流行の音楽であり、そこには流行=金儲け=ビジネス、別の面からはスターである事。流行してから好きになった訳で無く、スターであったから好きになった訳でなく、反抗期だった当時の僕は60年代後半のロックの音を生きていくために必要としていた。

だけど、これらの音楽がレコードとして販売され、今でも聴ける事は、当時、流行する=金儲けになると考えてレコードが発売されていた訳であり、クリームはシングルでは、アルバムでは、あくまでも当時のサイケデリック・ロックの流行を取り入れた作品。 ライブとしてはボーカルを中心としたブルースの形式からジャズのジャムセッションの形式取り入れたバンド。だからスタジオ録音盤に違和感を感じて、ライブ録音盤を聴いている。

その前に、イギリスで米国のブルース、R&Bブームがあった時、その米国のブルース、R&Bを自分達で演奏していたのがジョン・メイオールだったのだろうし、クラプトンもワインウッドも、ブルース、R&Bが好きで、その奏者だったのだろう。  とは言っても、日本のグループサウンズの様に、一般的には米国のブルース、R&Bそのままでは無く、イギリス人が解釈したブルース・ブレイカーズとかが英国で流行したことは理解できる。

それがクリームになって、本来はボーカルを中心としたブルースを楽器によるアドリブを中心にしたジャズに拡大したクリーム。 それが作品の販売とは別に失敗して、米国のR&B、スワンプに行ったのかな? 流行とは別の次元で、本人の音楽的嗜好の結果として。 レイラもロング・セラーにはなっているが、発売当時は売れなかった様だし。

ローリング・ストーンズが憧れのシカゴのチェス・スタジオに行った時に、マディ・ウオーターズがペンキ塗りをしていた逸話もあるが、ブルースのミュージシャン、米国の白人ブルース・プレーヤーも、イギリスのロック・スターであるクラプトンとかストーンズとは違って、音楽で生計を立てているプレイヤーだった様だし。だから、ジョニー・ウインター様に100万ドルの契約金とか、スーパー・セッションの様にレコード会社のコピーだけが空しく紹介されているけど、中身は流行とかレコード会社の思惑とは別にリアルな音。 

Apple Musicの場合、全くライナー・ノーツが無いので、インターネットで調べて聴いているけど、反対に情報だけが先に入って、音楽に集中できていないことを反省。

知名度としてDave MasonはEric Claptonに劣っていてるけど、Claptonは、この時代のDave Masonを気にしていていたのでは?と、ニヤリとして聞いてしまう。

fantasy

trafic

john barleycorn

Spencer Davis Group

Apple Musicで、Dave MasonからTraficを聞いて、The Spencer Davis Groupまで遡ってしまいました。 名前だけ知っていて聴いたことの無いバンドだったのですが、もちろん良いです。 Spencer Davisがリーダーでバンド名になっているのですが、実際はSteve Winwoodのヴォーカルとキーボードが評判のバンドで、John MayorとEric Claptonの様な関係だったらしい。 Steven Winwoodは、Spencer Davis Groupに参加する前に、アメリカのブルースマン達の英国公演でバックをしていた書かれているし、Their First LPに参加した時はまだ16歳だったそうです。

Their first LP 1965 July spencer1

Second Album 1966 Jan spencer2

Autumn 1966 September spencer3