日米の距離感の差

8月21日のOn Off and Beyond Chika Watanabe Googleストリートビューに思う日米の距離感の差より、

要約+コメント
Google Street Viewに対する日本での反応の記事で、Street Viewに対してPrivateの侵害と言う反応は米国でも日本でもあるのだけど、米国と日本での反応の感覚の違いは、米国では道路からみた家は「日本の感覚から言うと家の裏側」。 この表現だと分かりつらいけど、米国では道路側が人から見られても平気な面、あるい人から見られない様にクローズした面で、道路に面していない裏側が人から見られたくない面、プライベートな面。 日本では住宅状況の問題もあり、道路側にPrivateな面がある。

この見方で思うと、ヨーロッパの場合の方が顕著で、街中の建物の様に、こういったプライベートな面は全て中庭に面していて、外側(道路側)からは無機質な建物の壁か、あるいは人に見せる為の装飾的な建物の壁で、道路側かた見ていても、冷たいと言うか、寂しい感じがするので、米国よりGoogle Street Viewに対して、もっと平気なのだろう。

Chika WatanabeさんのBlogに戻って、この後に続く文章が、

ちなみに、この距離感の差って、日本とアメリカの文化や考え方の根元にあるという気がするんですよね。

村上春樹も「日本ではいかにdetouchするかが問題だが、アメリカではいかにcommitするかが問題」というようなことを言ってたが、アメリカ的な物理的距離感の中では、がんばって自分から社会に関わっていかないと、なかなか関わることができない。日本では「失敗を見られる」というのが一番の恐怖なら、アメリカの恐怖は「誰からも忘れられること」なんじゃないかなぁ。

ちょっと話は飛ぶが、この「失敗を見られる方が怖いか、誰にも見られない方が怖いか」というのって、起業の盛んさ加減にも関係する気がします。起業して失敗するのと、平凡な人生で誰にも見てもらえないの、どちらが怖いか、という・・・。

思わず、うなってしまった。 
この文章で引用されている村上春樹氏のエッセイか記事は読んだ記憶が無いけど、さすが。