『カラマーゾフの兄弟』続編を想像する。

カラマーゾフの兄弟を読み終えたので、亀山郁夫氏のこちらの本を読んだ。 実は、カラマーゾフの兄弟を読んでいる途中で買って、ちょこちょこ読んでいたのだけど。 
全5巻の全体の流れの中での面白さとは別に、各編が独立した小説としても読めるのだけど、なぜこんな小説とかエビソードを挿んでいるのか不思議に思ったりした事があった。 全体の流れとは全く関係が無いと思える編や、エピソード。 登場人物の性格、人物描写をする為に必要ではあるし、登場人物へのイメージをより具体的、人間的にしているのだけど、ちょっと頁を使いすぎていると感じたのもあり、まさか単に小説としての分量を増やす為だけに挿んでいる訳ではないだろうと思っていた。

だけど、これらは次の小説への伏線だったんだ。

もうひとつ、カラマーゾフの兄弟から感じていた面白さとして、底にテロの時代の面白さであった事が、この『続編を想像する』を読んだ事で、僕に、明確に意識として教えてくれた。亀山郁夫氏の表現を借りれば、それはもう一つの『層』と言えるのだろう。家族(家)の問題、女性の問題、宗教的な問題以外に、もう一つの問題意識があり、この問題意識とは、当時の社会(テロの時代)に対する問題意識。 この問題意識を、「父殺し」の一つとして、国家を広い意味での家族と考えての「父殺し」と定義し、解読する方法もあるのだろう。この時代背景の説明が十分に書かれていて、本の世界への理解を助けてくれた。

なぜ皇帝を暗殺しなければならないのか? ロマノフ王朝は暗殺の対象になる程、ひどい政治を行っていたのだろうか? 本の中で説明されている当時発生したテロ、テロリストを読んでも、彼ら、彼女らが生活に困っている、皇帝よりひどい仕打ちを受けた事が、テロの理由とは思えない。どちらかと言うと、観念的に政治体制が許せない、或いは宗教上の問題なのだろうか? もちろん、既に西欧では始まっていた民主主義?が、正しい世界であると言う正義感?
頭が良くて、正義感を持っている若い人にとって、観念とか正義感は、それ自体でテロを起こすのに十分な理由なのだろう。若い人にとっては危険な小説かもしれない。
なぜ、今(一昨年から昨年)、若い人に読まれるかを考えた場合、この小説の底に流れている革命への憧れも理由かもしれない。

『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)

『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する (光文社新書)