小林紀晴 父の感触

父の感触

先週末、下北沢の古書ビビビで100円で購入した本。

小林紀晴氏の本は、シンガポールに住んでいた時に東南アジアについて書かれた本を探していて、オーチャード・ロードの紀伊国屋で『ASIAN JAPANESE』を見つけて読んだのが最初。 若者らしいセンチメンタルな文章とナイーブな写真の感性が好きで何冊か読んだ。

僕は80年代のバブル時代直後に日本を離れたので、90年代に入り自分探し本が流行する事が羨ましいと思っていた。

今回、久しぶりに著者の名前を見て、またこの本が100円で売られていた事に流行の流れを感じてしまったが、下北沢の古書ビビビの良心で100円の価格にしていた信じたい。

著者がニューヨークに語学留学をしていた2001年に、ワールド・タワーのテロの9.11の事件に遭遇した時の話。ニューヨークを舞台にしていても、彼と彼の周りのアジアからの留学生との交流の中で感じた内容と、その後の父親の危篤から死去への話。

9.11事件については、ニューヨークの中で言葉の問題もあって、十分な情報を入手出来ず、日本よりの情報と、まだ英語も不十分な語学学校の学生同士の中で手探りしていた経験と、事件当時にニューヨークに住んでいなかった人との間で感覚が合わず、事件についてコミュニケーション出来無い歯痒さの感覚についての文章が好きだ。

僕が小林紀晴氏が好きなのは、高校を卒業したら、東京で一人暮らしが出来る環境の中で、東京での生活に憧れて、その日を指折り折って過ごしていた地方の退屈な高校時代の感覚と、東京で一人暮らしを始めた時の生活のギャップ。

更に東京から海外で生活すれば何かがあると思って、海外へ行ったものの、思い込みと現実とのギャップの感覚を淡々と語っている事に共感しているからなのだけど、この本では更に父親の病気の話も書かれている。

地方で両親と一緒に過ごしていた高校時代より、長い年月が経ち、年に一回とか二回は帰省して、それなりに普通の肉親との距離感を維持している中で、父親の病気により田舎の肉親との距離感の喪失。 実家との距離と言っても、たった何時間かの移動時間であり、仕事で近くを通ったり、通り過ぎてしまう程度の距離にも関わらず、そこでの生活に対する距離は単に空間とか時間の問題では無い事を感じたり、生活の差から発生する細々とした感覚の差に苛々したりする中で、実家に帰って父親を見舞う頻度で父親に病気の深刻さがばれないかと心配したりする。。。僕も同じ様な経験した。。。距離感、ポジションを見失った感覚が見事に描かれていた。