村上春樹 雑文集 続き

村上春樹 雑文集の続き。
「『アンダーグラウンド』をめぐって」の章の最初のエッセイの、「東京の地下のブラック・マジック」。
スコット・フィッツジェラルドが1929年の株価大暴落を北アメリカで聞いた様に、村上春樹も1995年の神戸大震災、オウム事件をアメリカ滞在中に聞いている。僕も当時はドイツに住んでいたので、海外からこれらのニュースを聞いた時の違和感については納得が行く。オウム心理教の地下鉄サリン事件の実行犯を村上春樹は、「しらけ世代」と表現していて、この「しらけ世代」と言う表現も久しぶりに耳にした。

団塊の世代」である村上春樹にとって、「しらけ世代」に対して、こんな風に見ていたんだなあと、「しらけ世代」である僕にとっては意外な理解の文章。読んでいくと、

しらけ世代」は「他者との間に差異を作り出す事を重視した」。
「全面的な個人主義を受け入れる基本的な土壌が日本にはまだ十分整っていなかった」。
そのような状況下において、彼らの求める差異は、とめどもなく細分化され、技巧化していった。それは結果的に、差異化することのみを目的とする「出口のない差異」へと変質していった。
そしてバブル経済の出現に呼応して、その差異化にはますます金がかけられるようになった。
そのような競争のもたらすものは、限りない閉塞感であり、目的の喪失がもたらすフラストレーションである。

オウム真理教に帰依した人の多くは思春期に熱心に小説を読んでいない事から、村上春樹が最近のインタビューで言う「悪しき物語に負けない様な、良い物語」を発表する事へ繋がっていくと思うのだけど。 本当にオウム真理教に帰依した人の多くは思春期に熱心に小説を読んでいないのだろうか? サンプルの母数が少なかったので、この様な誤解に繋がったのでは?