1984 India

今年の夏休みは、大学時代の卒業旅行で「地球の歩き方」を発行しているダイヤモンド・スチューデント・ツァーで行ったインドの写真をスキャンしていて、旅日記も出てきたのでリライトした。

1984年2月13日
前日の夜に成田を出たエア・インディアの飛行機は朝の3時半にデリーの飛行場に着く。 イミグレーションを抜けてバッケジ・クレームでバックパックを受け取る。 税関を出るとツァーの旗を持ったガイドが待っていた。 彼は日本語が話せ、ツァーの人数を確認後、バスでホテルに入る。 ツァーのメンバーは20人程で、飛行機の中のエコノミー三人掛けの列の通路側に座った僕の窓側の二人の女の娘も機中で会話していると同じツァーだった。 ガイドに案内され、9時半からツァーのオリエンテェーションがあるとの説明を受ける。(注釈:ダイヤモンド・スチューデント・ツァーではインド到着後の最初の一泊と最後の一泊だけがツァーの料金に含まれていて、途中の、僕の場合は4週間は自由旅行と言うツァーで、一般的なイメージの卒業旅行と言うより、バック・パッカーのはしりのツァー。)
ホテルでは仮眠と言う程の仮眠も取れず、結局9時にベッドから起きてホテルの窓から外を見ると、インドに来た実感が湧く。9時半からの旅行のオリエンテェーションの後、バスでデリー市内を回るがまるで写真で見たジャマイカのトレンチタウン。 旅行に来る前に読んでいたガイドブックでは、デリーとインドの田舎は違うと書いてあった事を思い出し、早くアーグラへ行こうと思う。ツァーのホテルを12時にチェックアウトしたものの、ツァーの学生7人で一緒に行動する事になり、その日の夜のホテルを「地球の歩き方」で探してチェック・インする。 
その後、僕は駅へ行き列車の時刻表を入手してからコンコート広場をぶらつく。 駅のそばの安食堂で食事をしてホテルの部屋へ戻ったら、ホテルではツァーの他のメンバーも居て、12人でデリーの夜のバザーをぶらつき、皆で旅の始まりに乾杯。 だけどアルコールが無いのでミックス・ジュース。
HOTEL ANAND 25ルビー。
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2月14日
朝9時に一人でホテルをチェック・アウトして、駅で油で揚げたパンで朝食をする。 朝11時30分ニュー・デリー発の電車でアーグラへ移動。 アーグラには午後3時半頃到着した(電車代17ルビー)。 電車の中では隣のインド人からうるさく話しかけられて参った。 日本人的には「ガイドブックを読んでいるので、邪魔しないでもらえる」感じで空返事をしているのだけどインド人には通用しない。 
アーグラ到着後も駅の外ではリキシャの客引きがしつこくて、「地球の歩き方」で紹介されていたホテルまでの料金を交渉したつもりなのだけど、結局、言った言わないで8ルビーも取られる。 インド人はイエスの時に顔を少し横に振るので、まだ納得しないのかと思ったけど、最後は8ルビーで納得してくれた様だ。
ホテルは期待したよりも清潔で、部屋が共同でベッドだけのドミトリーもあるので、ドミトリーを選ぶ(5R)。 荷物を置いた後、まだ明るいのでタージ・マハルへ行く。 インドと言えばベナレスとタージ・マハルの名前が出てくるのだけど、タージ・マハルはムガール帝国のシャー・ジャハンの后のムムターズ・マハルの墓として、1631年から1653年まで22年間かけて建設された建物と言う事だけは事前にガイドブックで知識を入れておいた。
ホテルからタージ・マハルの敷地の入り口までは直ぐ近くで、入り口から敷地の中に入った時に、シンメトリーの造形の美しさは写真通りの美しさであったが、実物の大きさに圧倒された。 更に足を進めるとビルの様な大きさで、大理石は毎日磨かれている様に真っ白で光っている。 建物の中のドームの高さと、音の反響がすごく綺麗なエコーを作っていた。
ホテル SHANTI LODGE 5ルビー
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2月15日
朝9時にホテルを出て、リキシャでアーグラー城へ行く。2.5R。 アーグラー城の入り口でも、たむろしているインド人から「ガイドがいないと見れない」とかと言われたが、ガイドブックによると、それは嘘と書かれていたので、騙されないようにガイドをつけずに一人で中に入った。 タージ・マハルを作ったシャー・ジャハーンは息子に依ってムサンマン・ブルジュと言う塔に幽閉され、ここからから、ヤムナー河の朝もやにかすむタ-ジ・マハルが幻想的な風景だった。一人で見とれていると、金持ちそうなインド人の団体が入ってきて、ガイドの話しを盗み聞きしていると、水を与えられず、インクしか差し入れされなかったので、インクを飲んで飢えを凌いだ話しを聞く。
その後ホテルへ戻り荷物をピック・アップしてバスでジャイプル(Jaipur)へ向かう。 バス代は28ルビー。 バス・ターミナルでバスの出発時間を聞くが、聞く人によって違う。バスの中ではみかんに串をさしてから上手にジュースにしている物売りがいて、口上の意味は分からないがなんとなく見とれ、聞き取れてしまった。
夕方にはJaipurのバスターミナルに着き、宿泊する予定のJaipur Innへリキシャで移動するが、距離は1kmくらいしかなく1.5Rも取られてしまった。 このホテルに着くとデリーで別れたダイヤモンド・スチューデント・ツアーの日本人達と再会。
ホテル Jaipur Inn 10R
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2月16日
朝8時ごろ起きるとホテルの中庭から日本語がしたので、中庭へ出てみると同じダイヤモンド・スチューデント・ツアーで飛行機の中でも隣に座っていた女の子二人が会話していた(彼女達は初めての海外旅行が今回のインド旅行)。 デリーに到着後、彼女達がデリーの雰囲気が怖くて皆で同じホテルに泊まったのだけど、その翌日に彼女達はデリーからジャイプルへ移動して、これからアーグラーへ行くスケジュールとの事。 僕は今日、まず旧市街のCity Palaceへ行こうと思っていたのだけど、皆で郊外のアンベール城へ行くと行っていたので、一緒にアンベール城へ行く事にする。
朝9時過ぎに4人でホテルを出てリキシャに乗るが、リキシャから「アンベール城は昼からしか公開していない」と言われ、銀行で両替をしたり、郵便局へ行きたい人が居たので、そのままリキシャで銀行へ行ってトラベラーズ・チェックを両替したり、郵便局で切手を購入したりする事に付き合っていたが、その後、リキシャにカーペット工場へ連れて行かれる。 誰もカーペットは購入しなかったが、昼食のレストランもリキシャに連れていかれた。 ベジタブルカレーが美味しかった(7ルビ)。 結局、リキシャはアンベール城までは行かず、宝石屋の前で停まり、ここからバスが出ると言われて宝石屋へ連れて行かれる。 この辺りから僕達はリキシャの言う事を全く信用出来なくなり、宝石屋も簡単に見てバスを待っていたが、バスは来なくて、一人5Rで4人分、計20ルビー払ってオートリキシャでアンベール城へ行く。
アンベール城の麓からは象にのって城の上まで行った。 象の料金は4人で1頭の象に乗って65ルビーとガイドブックの料金通りだったけど、強引にチップ4.5Rを要求された。
アンベール城の上から見たタール砂漠は、砂埃に霞む地平線まで見渡す事が出来て、そこまで何本かの道路と線路が走っている風景で、ここタール砂漠の入口のジャイプルより更に砂漠の中を果てまで行ってみようと思い、ここから400Km離れたインド鉄道の終点のジャイサルメールまで行ってみようと決心した。
アンベール城見学後、一度ホテルへ戻り、アーグラーへ向かう女の子達をバス停まで送っていったりしていたら、レストランが閉まって夕食が食べられなくなり、買い置きのバナナで済ませる。
ホテル Jaipur Inn 10R