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ロング・グッドバイ

ロング・グッドバイ (ハヤカワ・ミステリ文庫 チ 1-11) 今年の夏に東直己の「探偵はバーにいる」を読んでから、一連の「ススキノ探偵シリーズ」を読み終えて、本の末尾の広告から原尞の小説も読み終えて、チャンドラーの「ロング・グットバイ」の村上春樹訳もハヤカワ・ミステリー文庫で出版されている事に気が付いて購入しました。

清水俊二訳の「長いお別れ」は約30年前の学生時代に読んだ事があるのですが、その時はストーリに没頭する事が出来なくて、苦労して読み進めたのですが、今回は素直に読み進めました。

その理由として翻訳者が違うからと思ったのですが、良く考えてみると、この小説の背景となっているLAの地名、その雰囲気、LAの豪邸の立ち並ぶ街並み、パーティの雰囲気について、30年前は陽気なだけのLAのイメージから想像がつかない世界だったのですが、その後の30年間で何回かLAへ旅行して、ダウンタウンと車でしか移動出来ない高級住宅地の雰囲気が想像出来る様になっていた事に気が付きました。

途中から村上春樹が絶賛していたスコット・フイッシュジェラルドの「グレード・ギャッビー」を思い出して、アメリカの上流社会のけだるい雰囲気の描写が好きなのだなぁと思っていたら、この本の村上春樹の後書きでも「グレート・ギャッビー」との比較を取り上げていました。

チャンドラーがフイッシュジェラルドを意識していた事以外に、時代が作風に影響を与えていた様です。

村上春樹の小説の多くは、日本の普通の生活、または経済的には普通の生活が出来るのに質素な生活を好んでいる主人公が描かれている事が多いので、村上春樹がアメリカの上流社会を描いた小説が好きなのは意外な気がしましたが、必ずしも上流社会の生活に満足している人を描いた作品では無く、その生活に馴染めない、飽きた人を描いているので、上流とか中流と言った経済的水準では無く、人生について馴染めない事では同じなのでしょう。またその生活、人生も「成り上がった」事よりも、「苦労せず」に手に入れている事がポイントなのでしょう。

だから世界で普遍的に読まれていて、中国とかロシアでも裕福な若い人に人気があると思います。僕が昔、村上春樹の話をした中国とロシアの友人も経済的には先進国レベルの生活をしている人で、政治には興味が無く、80年代の日本の文化系学生と同じような感覚をしている人だったので、世界中にマクドナルドが出来ている様に、カルチャーが普遍化していると思っています。

最後の村上春樹の後書き、これもかなりの分量があります。 ここに書かれているチャンドラーの略歴、作風、作品への取り組み方を読んでいると、今までインタビューとかエッセイで垣間見えていた村上春樹自身の作品への取り組みかたの影響が、チャンドラーに強く影響を受けている事が分ります。

引用

朝、腕が三本になっていた。 小説は何故、腕が三本になったかを記述するのでは無く、腕が三本になった事による生活の変化を描写しなければならない。その描写で腕が三本になった理由を暗示出来るのが良い小説。