ポンディシェリー

シンガポールに駐在になってから、インドとの取引も担当する事になり、その内に、インドへの出張の機会もある筈と思っていたが、多忙な生活で、シンガポールの担当者に任せていたのだけど、問題が発生して、急遽、担当者と一緒に、インドのボンディシェリーと言う都市へ出張する事になった。

出張の手配は全て担当者と秘書に任せていたので、航空券の行き先が確認出来たのも、シンガポールのチャンギー空港でチェックインした時で、その時に飛行機の行き先がチェンナイと言う名前の都市で、そこからタクシーでポンディチェリーへ行く事を知る。

チェンナイ? 今まで聞いた事の無い名前だったが、担当者より、昔のマドラスの事である説明を受ける。 マドラスと言う名前は旧宗主国であるポルトガルが命名した名前なので、1996年にチェンナイの名前に変えたそうだ。

シンガポールからの飛行機は深夜に出発した。座席はエコノミーの通路側の席だったのだけど、真ん中のインド人が飛行中に何回もビールをオーダーしているので眠れない。シンガポール・エアラインのエコノミー席でもビールは無償でサービスされるのだけど、缶では無く、一回、一回、コップに注ぐサービスなので飲み足りないようだ。

チェンナイの飛行場に着いたのは深夜。 シンガポールとの時差が2時間半と言う、中途半端な時差である事に驚く。 この時間でもイミグレーションで一時間くらい待たされて、シンガポールでの快適なイミグレーションに慣れている身としては苛々する。

税関を出た場所で僕達の名前のプラカードを持っている人が居て、直ぐ外にタクシーが待っていた。 空港の敷地を出たら、もう照明は無く、道端に営業を終了した屋台が並んでいるが、車のヘッドライトが照らすと、そこで寝てる人がいる事で、約20年ぶりにインドを再訪した実感がした。

ホテルは空港の近くのホテルで、昔のバックパッキングの時には泊まった事の無い立派なホテル。 部屋も広くて天井が高く空冷も効いている。 だけど2−3時間仮眠しただけで、朝食を取りにレストランへ行く。 イギリスのブレックファースト式のブッフェだったので、ここがインドである事を考えずに平気でジュースとかフルーツも食べたが、シンガポール人の担当者は不安そうに僕を見ていた。

9時にタクシーが来て、ポンディシェリーへの向かう。

ホテルの前からは両側にガードレールのある舗装された道路を走り、しばらくは左右に二階建てくらいの建物が並んでいて、そのまま市街地を抜けて道の左右には何の建物も無い片道一車線の道路を走る。 時々、遅いトラック、トラクターが走っているが、タクシーは対向車が無ければ、そのまま追越車線へレーンチェンジする様に減速をせず、前のトラックを追い越していく。

しばらくすると左側にベンガル湾が見えてくるが、暗く濁っていて沼地の様に見える。 道の両脇には椰子の木が並んでいて、少しは海岸道路を走っている感はあるが。

更に走っていくと、道は少し内陸になりベンガル湾は見えなくなる。 相変わらずの片道一車線の舗装道路だけどガードレールも無く、ただ舗装しただけの道。 ポンディシェリーへの途中では何回か村を抜ける必要る事があり、村が近くなるとバス、トラックがゆっくり走っていても対向車が多く追い越しは出来ず、道の横では牛車が荷物を引っ張って居る。 交差点のあたりでは粗末な建物の店が集まっている。 この風景は僕が20年前にバックパックで旅行していた時と同じ風景ではあるが、突然、携帯電話が鳴り出して、20年の時間の経過を感じた。

ポンディシェリーの街は比較的大きな都市だった。 チェンナイでは郊外の飛行場の近くのホテルに宿泊した為、街中の渋滞に巻き込まれなかったのだけど、ここでは街中の大渋滞に巻き込まれてしまった。 さすがに牛はいなかったが、リキシャとバイクと車が少しでも隙間を見つけると進むので、僕達の乗っていたタクシーは全く前に進む事が出来なくなり、最初は大人しかったタクシーのドライバーも最後はクラクションを鳴らしっぱなしの乱暴な運転に変わっていた。

仕事は終わり、帰りも同じ道を通ってチェンナイに戻り、その日の夜の飛行機でシンガポールへ戻る。