Best of Muddy Waters

昨年から、ハード・バップをレコードを聴いていて、50年代の発売された年と参加ミュジーションの整理をしていて、50年代はブルースも流行していたよなと思い、Muddy WatersのBest of Muddy Watersを聴き直す。

1960年に50年代にChessから発売したシングルを集めたのが、この1st LPのBest of Muddy Watersと記憶していたが、1948年から1954年のシングルを集めてLPの発売は1958年だった。

美大の同級生だったミック・ジャガーとキース・リチャードが電車の中で偶然あったときに、ミック・ジャガーがこのBest of Muddy WatersのLPを持っていたのが、ローリング・ストーンズの結成のキッカケと言う有名な話を思い出したのだけど、多分、この話も1960年代初頭の筈で、当時のイギリスの先端的な音楽少年も時代を10年くらい遡って、アメリカの50年代のブルースを聴いていたんだな。と思った。

なので、50年代のハード・バップにはブルースに通じるものがある。ジャズがブルースから進化した説とか、ジャズの中にブルースのコード進行の曲がある訳だけど、私にとってブルースとジャズは何か違うものと感じていたので、今回初めてブルースとジャズの同意性を感じた。

The Bootleg Series, Vol. 6 : The Final Tour

John Coltraineが参加している第一期の最後の1960年のライブ録音盤。

1958年のライブ盤の1958 Miles、Miles Davis at Newport、Jazz at the Plazaの音を想像したのだけど、雰囲気が違うのはKind of Blueに収録されているSo What、All Bluesが入っているから。

スタジオ盤よりアドリブは遥かに良い。LPになってアドリブも録音出来る様になったと言うけど、実際のライブでの演奏は凄かったのだろうな。と言うのが、このBootleg Seriesで分かった事。

何故、コルトレーンが抜けて、第一期カルテットが崩壊したのか、マイルス本を買って読んでみようと思う。

このライブ音源を聴くと、ジャズのライブ演奏として完成してしまって、次の音楽を探し始めたのだろうな。コルトレーンを求道者として表現する気持ちが分かってきた。

 

 

The Bootleg Series, Vol. 1 : Live In Europe 1967

60年代のマイルスのライブにハマって、Bootlegまで手を出す。

と言っても、Apple Musicのサブスクリプションで聴く事ができるのだけど。

Bootlegと言うと、新宿西口のレコード店を思い出すのは昔のロック少年の名残りか。

このマイルスのBootleg Seriesは、CBS Sonyから正規で発売されている。

ジミヘンの音源もジミヘンの妹だっけ? 管理している人が公開を了解して正規で発売されているのと同じと思うのだけど、背景を良く知らないので、一リスナーとして、うれしく思う。

サブスクでなくても購入したが、サブスクが無ければ出会わなかったと思う。マイルスの場合、正規盤でもまだ聴いていない作品があり、Bootlegは後回しになっていたと思うので。

だけどApple Musicでは、1967年10月2日のアントワープと、11月2日のコペンハーゲンのライブのみ聴く事ができるのは、私の様なリスナー向けの戦略か?

しばらくは、ベルリン、プラグド ニッケルと回して聴いているが。

いきなり一曲目のトニー ウィリアムズのドラムが凄い。Agitationを調べたら、E.S.P.に入っている曲。E.S.Pでは最初の2分くらい、トニー ウィリアムズのドラムソロで、シンバルレガートになって、マイルスが入ってきてテーマ? ハービー ハンコックのバッキングのコードと黄金カルテットらしい演奏。

第2期のカルテットから電気になった経緯は良く知らず、マイルス本はM/Dくらいしか読んだ事が無いので、自叙伝を読んでみるかと思うこの頃。

 

マイク・モラスキー 戦後日本のジャズ文化

1956年生まれの米国人の著者は私より4年早い生まれだし、東京へ来たのも1976年なので、私が大学で上京した1978年と、過ごしてきた時代はあまり変わらない筈だけど、過去の知識、調べには頭が下がる。
著者は日本留学時にアケタの店でジャムをしていたと、後書きにあるので、 私にとっては名前は知っていても怖くて行けなかったフリージャズの世界を知っているのだろう。


この本で面白かったのは、第4章から第6章の1960年代 のアングラ、革命、政治を含んだジャズ文化論。私も若い時にこの時代に憧れていた時期があり、それジャズへ憧れたけいいもあるが、当時の文化をまとめて知ることができた。


前哨として第3章までの戦前、戦後、50年代まで、ジャズは洋楽の代名詞、ポピュラー音楽だった。


第4章
1960年代からジャズは黒人音楽として好事家が聴く音楽になった。インテリ、文化人が聴く音楽としての位置を得る。私もジャズに対してこの60年代以降のイメージが強い。
更に、革命、政治の時代も入ってきて、相倉久人平岡正明の二名をこの時代の論客として紹介している。


第5章
日本独自の文化であるジャズ喫茶論
第4章と第5章の間の軽めの文書


第6章
1960年代のアングラの時代
大江健三郎
倉橋由美子
中上健次
白石かずこ


日本映画として、永山則夫を取り上げた
足立正生の略称・連続射殺魔
若松孝二の十三人連続暴行魔 1978年
に、かなりのページを費やしている。

白石かずこは、私はラジオのディスクジョッキーと勘違いしていた(DJと書くと若い人は誤解されるのだろうな)。
若松孝二の十三人連続暴行魔の映画は知らなかったが、阿部薫が音楽を担当していて、亡くなった1978年公開の映画との事。1978年だとATGとかアングラの最後の頃か。

 

Miles Ahead マイルス・デイビス 空白の5年間

アマゾン プライムビデオで見る。

ドン・チールドが監督兼マイルス役で、マイルスの1980年の復活までの5年間の空白の最後にのみスポットを当てた手法は、昨年の『クールの誕生』がマイルスの人生を描いた手法に比べて、映画としての作品の完結が出来ていて映画らしい作品。


典型的な悪党キャラのレコード会社の社長、役員、何かの映画のパロディかとも思える盗まれたテープを取り返す為の攻防線、カーチェイス


フランシスとの恋愛も、恋愛映画っぽい映像。


だけどフランシスは60年のマイ・プリンス・ウィル・カムのアルバム・ジャケットの写真なので、80年の復活の20年前の恋人? 結婚もマイルスの何人目かの記憶がある。この映画ではマイルス唯一の恋愛の様に美しく描かれている。

 

マイルスの映画と思って期待しない方が良いが、最後の演奏シーンがロバート・グラスパーが出てくるし、映画のサントラ盤とグラスパーとマイルス名義のEverything's Beautifulも発売されたし、マイルスの再評価の流れだったのかな?

Live At The Plugged Nickel

マイルスを初めて聴いたのは、The Man With The Honeが発売されたときだったので40年前になる。私は70年代後半からのクロスオーバー・ブームでジャズを聴き始めていたので、The Man With The Honeも『マイルスの復活』の謳い文句で販売されていてCDを購入して聴いていた。結局、当時発売されたクロスオーバーのアルバムの一枚として感じていたのだろう。Bitches Brewまで時代を遡って聴いてみたが、『硬いなぁ』と言うのが当時の印象だったと思う。私は当時もっと『柔らかい』音を好んで聴いていた

中学、高校とロックを聴いていて、大学時代はブルース、ソウル、クロスオーバーを中心で聴いていて、会社に入ってからもマウント・フジのビデオを見たり、ジャズ・シンガーを目指す女友達のライブへ行ったり、取引先の部長がジャズ好きで接待費で青山のジャズ・クラブへ行ったりしていてジャズには接していて、マイルスもRound About Midnight、マラソン・セッション等まではジャズの雰囲気を楽しんで聴いていたのだけど、個人的にマイルスに嵌っていた歴史を持っている訳では無い。

なので、この1965年のライブのアルバムも今年になるまで知らなかった。昨年からの在宅時間が圧倒的に増えたおかげのマイ・ジャズ・ブームの中で、クールの誕生の映画を見たり、菊地成孔大谷能生のM/Dを読んだりして、今年になって初めて60年代のマイルスを聴いていた。

サブスクリプションだとアルバムを聴いて、気に入ったらライブラリーに登録する方法だけど、この時に物理的なCDの枚数が分からないので、このアルバムが8枚組であることに驚く。ダイジェスト盤が出ていて、その後、この完全版が発売された事を知る。

ロック界にジミー・ヘンドリックスと言うギタリストがいるが、このジミー・ヘンドリックスも私は中学時代に友人が持っていたアルバムを録音させてもらったりして聴いていたのだけど、本当に凄いことを実感したのが1969年12月31日と1970年1月1日のフィルモア・イーストのライブが2-3年前に完全版になって発売されて聴い事で、今回のLive At The Plugged Nickleを聴いて衝撃を受けていることと近い感情。

スタジオで録音したアルバムとは別の次元で、当時のライブを大音量で聴くことで見えてくることもある。

Miles In Berlin

1964年のウェイン・ショーターの参加で第2期の黄金カルテットが完成した時のライブ。
前作のLive In Tokyoと比較すると、サム・リバースのコルトレーン風から、ウェイン・ショーターのウネウネしたフレーズ。
ウェイン・ショーターのフレーズは、昔から好きなのだけど、上手い表現が出来ないのだよな。
大学時代に買ったジャズのアルバムの中で、数少ない当たりがNative Dancerで、今年になってから60年代のジャズを聴いているのもウェイン・ショーターの作品をAppleMusicで聴いてから。
1958年のマイルスのライブ、1961年のブラックホークのライブがハードバップの雰囲気を残した、典型的なジャズのライブだけど、マイルスが60年代にやりたかったのはこういった音なのだろう。
このアルバムの1曲目のMilestoneが最高で、3曲目のSo What、5曲目のWalkin'のこのメンバーでの演奏が良いが、枯葉とステラ バイ スターライトは馴染め無い。