Facebookがコミュニケーションを広げた

前回、FacebookとLINEの提携について思っている事を書いたのですが、ここでもう一度、僕の思っている事をまとめておきます。

FacebookTwitterが全世界で飛躍的に普及した理由は、今までは無かったコミュニケーションを提供したから

例えば、年に一回会う旧友、年に数回会う友人の動向は、Facebookが普及する前は冠婚葬祭のレベルでしか知る事は無かった(お互い、連絡し合わなかった)。 例えば、誰々が亡くなったと言う話は連絡を取り合うが、日常生活の中で夏休みの旅行の話をわざわざ連絡しなかったが、Facebookの普及により、そういった旧友の日常生活の話を知る事が出来て、自分よりも発信する様に変わってきている。

もともとのFacebookの使われ方として、名前通り、顔写真入り、趣味とかの自己紹介WEBであり、大学での新入学生間と言う新しい集団での関係作り、コミュニケーションが目的としている事はマーク・ザインバーグの映画を見たので理解しているし、そういった新しい集団で利用されている事と思うが。

自己顕示欲の拡大、及びその許容範囲の拡大

自分自身の日常生活、例えば旅行の写真を友人に見せたいと思う事は自己顕示欲の一つと思う。 しかし自己顕示欲が強いと、友人、知人より反感を買う事も、ある程度の大人であれば理解している事であり、Facebookが普及する前は、回りの空気を読んで余り主張せずにいたと思うが、Facebookで友人、知人の発信する情報を見ている間に、反感を持たれない程度の自己顕示の範囲が拡大してきていると思う。 例えばFacebookを始めた時点では心理的抵抗があった事が、いつの間にか何の抵抗も無く発信している事に気が付く。 Facebookをしていない友人との会話にて、僕自身が週末の小旅行の写真等を発信する事の自己顕示欲の大きさに気が付くが、Facebookの友人間ではその自己顕示欲が拡大されてきた事に気が付かない。

Facebookは微妙な友人関係の上で成り立っており、サービス内容の変更はバランスを崩す

この自己顕示欲とどこまでの自己顕示がお互いに許される、あるいは好意をもたれる範囲なのかの判断が微妙なコミュニケーション、関係になっており、 これが「Facebook疲れ」になったり、「リア充(過剰な自己顕示)」となる場合もあると思う。

結局、サービスはサービスであって、それを上手く利用して友人関係を維持、深める為に使用しているので、一方的なサービスの変更は利用者離れを呼び起こすだけになる事に気が付かないのかな? 日本ではMixiの例もあるし。

Twitterについて。これは途中

TWITTERは情報入手の目的以外に、月に一回程度で会う友人の動向で、なんとなく今週は忙しそうななのか、暇そうなので誘ってみるかという判断に繋がる。また呑みに行って偶然知り合った知人の場合、TWITTERが無い時代であれば、その場限りの付き合いで終わったが、TWITTERがあるので、その後も付き合いが継続出来ているのもある。