村上春樹 1Q84

1Q84 BOOK 1

朝7時のNHKのニュースのオープニングで、村上春樹の7年ぶりの小説が発売される話が紹介されていて驚いてしまった。 結局、7時20分に家を出るまでに、本の紹介のニュースは放送されなかったのだけど。

夜、帰宅途中で本屋に寄ったら発売されていたので、購入して帰宅。

最初のページを読み始めたのだけど、本当に1984年の話なのだな。青豆さんと言う女性も、都会的な80年代のバブルの頃の業界のキャリア・ウーマンを思い出させる描写で始まったし、天吾君もそのバブルな時代に流されなかった(残された、あるいは消極的に逆らった)、大学卒業して塾の教師をしながら作家希望と言う、世俗的な上昇志向の無い、孤独、消極的、モラトリアム的なキャラクターなのだけど、ある程度の女性関係はある昔からの村上春樹の小生の典型的な主人公のキャラクターだし。

そういえば、まだこの頃は「おたく」と言う言葉は無かったし。一般的に使われ始めたのは、サカキバラ事件の後なので、時代的には、もう少し後の筈なので。まだ、こういったキャラクターも世間的に認められていた頃。んー。この事に気が付くと、「おたく」と言う言葉が一般的になってからの世代の人の村上春樹の作品の読まれ方は違うのかな?

ストーリーの展開が面白いので、書評とかで紹介される前に読み終えた方が良いと思い、週末に一気に読み終えた。

「世界の終りとワンダーランド」に似ている。 前作の「海辺のカフカ」も、二つの話が並行して書かれているスタイルなので、スタイルだけの話では無いと思うのだけど、何となく、「世界の終りとワンダーランド」の方により共通点がある様に思う。

メインとなるテーマは、リトル・ピープルの話。このリトル・ピープルが出てくる小説は、確か短編集に収録されていた記憶がある。更に、インタビューか何かで、この短編が将来、長編に展開されるかもしれない様な発言を読んだ記憶がある。

このメイン・テーマが寓話的で、また今回の小説の構成が、「小説の中で、深田絵里子が語ってベスト・セラーになった『空気さなぎ』と言う小説の中に登場するリトル・ピープル」が、「1Q84の小説の世界」へ出現するストーリーになっているし、最後も「1Q84」の登場人物の主観で語られているところで終わっていて、はっきりとした結末とか結論が「1Q84」の小説の中で提示されているわけでは無い。この余韻を好むか好まざるかが、村上春樹の作品の好き嫌いを決めると思っているけど。

メインとなるテーマが、リトル・ピープルで、これを料理での主采とすれば、その料理の付け合せが、『猫の街』、『1984』、これと確かボネガットの小説の『宇宙旅行中に遭難した宇宙人が、出発した星への遭難信号を送る為に、地球上に人間を作り出して、その中にDNAと言う救助信号を入れて(まるで海に投げ出されたボトルの中のメッセージの様に)、人間が世代交代をしてもDNAだけは残って、遭難した宇宙人の救助信号を宇宙人の母星へ送る為に、人間は存在する話』。

寓話的なテーマとは別に、小説のディテールを楽しむと登場人物が面白い。 交代に各章で語られる天吾と青葉の設定と、彼らの過去よりの恋愛と、現在の性生活。

深田絵里子が住んでいて、『空気さなぎ』を書いたコミューンは、もともと学生運動から分裂して、急進派は事件を起こして無くなり、穏健派は宗教に変化した(そういえば、このコミューンには経済的、政治的に後盾が有る事が示唆されているが最後でも説明されない。 だから、リトル・ピープルは何かの暗喩だと言う読み方をする人もいるのだろうし、僕も、読んでいる途中までは、こういう展開になるのかなとも思っていた)。

読む人の世代とか経験によって、学生運動に思い入れをする人もいるし、何もなかった時代に思い入れをする人もいるし、宗教の時代に思い入れをする人もいるだろう。

テーマを料理の主采と付け合せと表現したので、これらのディテールは、料理のスパイスの様なものだろう。

だけど、このスパイスが、前作の「海辺のカフカ」が子供向けの味付けだったのに比べて、「1Q84」は、大人向けの味付けに効かせているので、このスパイスだけがマスコミで話題になってしまうのかな?