<span class="deco" style="font-size:x-large;">1984年2月20日</span>

今日よりキャメル・ツアーへ出発するので、二泊分の宿泊代(16R)を支払いチェックアウトしてバックパックを預かってもらう。 
昨日の酒が残っていて二日酔い気味。 インドに来てからは安いビリー(タバコの葉で巻いた細巻きのシガー)を吸っていたが、今日は奮発して紙巻のタバコを購入するが、4.25Rもした。

しかし、昨日のホテルでの飲み会でインド人が呼んでいた娼婦は本当に女性だったのか? 朝になって冷静に考えるとオカマの様な気がしてきた。 だけどインドにオカマはいるのかなと思う。 (この日記をリライトしている今、考えると、ヒジラと言う両性所持者だと思うのだけど)。
まずは駅へ行き21日の夜のジョドプルまでの列車を予約する(30R)。 

その後、ツーリスト・センターへ行き、キャメル・ツアーの出発するクーリという村へバスで行くと聞かされ(切符代6R)、バスは11時出発と聞いていたが、10時にはバスに乗せられた。 バスの中で出発を待ち、やっと出発の合図らしきものがあったが、エンジンが掛からない。

晴天の砂漠の真ん中の一本道を、バスは窓を開けて走っていくのだけど窓から入ってくる風は大変冷たい。 2月とは言え、本当はもうすこし暖かいらしいのだけど、一昨日の夕立後、温度が下がっているとの事。 夕立は僕がジャイサルメールに到着して直ぐに降ったので、僕は何も感じなかったのだけど、この時期とは言え、砂漠の中で雨が降る事は珍しい事である事を、この時になって初めて理解する。

クーリの村につくと、キャメル・ツアーを紹介してくれたシンの実家へ案内されて暖かいチャイが出てきて、やっと一息つく。 

クーリの村は本当に砂漠の中の村と言う雰囲気。 村の建物は20軒くらいで、 ほとんどの家の壁は白い土で出来ている。 石作りの家は2−3軒だった。 当たり前の様に家々の前に駱駝が紐で繋がれている。 今の時代にこんな風に住んで、こんな生活している事に少し感動してしまった。
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シンの家で待っていると痩せた30歳くらいのインド人が入ってきて、彼がキャメル・ツアーのガイドとの事で、外に出ると子供が駱駝の世話をしていた。 
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ツアーの準備は完了していた様で、しゃがんだ駱駝の前にガイドが乗り、僕は後ろに乗り駱駝は立ち上がる。 駱駝に乗ってみると、思ったより視線の位置が高い。

バスで来た道とは反対側の村の外れには、背の低い灌木が生えている場所があって、この中に細い踏み分けられた細い道を駱駝は歩き始める。 しばらく進むと灌木が無くなり、踏み分けられた跡も道が分からなくなるが、駱駝は真直ぐに進んでいく。 ガイドは風景で道を覚えている様で遠くに砂丘も見えてくる。
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一度、休憩を挟んだが2−3時間乗っているとお尻が痛くなってくる。 そんな時に太陽が傾き始めるのが分かり、大気が赤っぽく変化し夕方になる。 残念ながら太陽の沈む地平線付近に雲が残っていたが絵に描いた様な砂漠の夕焼けの風景。 太陽が水平線に完全に沈む前に砂丘の中の集落へ付く。 この集落の外れに小さな小屋があって、ガイドは「ここが今日のホテル」と言っている。 直径3メートル位の白い土壁の上に藁葺きの屋根が乗っているホテル。 入り口のドアも無く開けっ放し。 
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小屋の前に駱駝を紐で繋ぎ、中の囲炉裏で火を起し、ガイドが袋からチャパティを出して焼いた頃に、村人が野菜カレーを持ってきた。 簡単な夕食後、ガイドの人の通訳で村人の色々話を聞く。 この集落はSagrasigvと言う名前で人口は50人程。 学校は無く住民はラクダやヤギ、ブラック ゴッドを飼って、日が登ると起きて日が沈むと眠る生活。 途中でトイレに行きたくなり、外に出た時の出た時の星空の星のに驚く。

ベットは木枠と布で出来たベットで、僕はジャンバーの上から毛布をかけてもらい寝る。 夜は寒い。

砂漠の中の小屋泊


1984年2月21日

鳥の鳴き声で目を覚ます。 快晴の朝。 臭いと思ったらドアの無い入り口の直ぐ外に羊がくそをしていた。 僕は起き出して小屋の外に出てみると、繋がれた駱駝が足を畳んで寝ている。 集落には数軒の家しか無く、その周りに木と小さな池があって、映画で中で出てくる様なオアシスだった。

その後、ガイドが朝食を用意してくれた。 昨日と同じ様に袋からチャパティを出して囲炉裏で焼く。 クーリーから持ってきたもう一つの皮袋があって、それから羊乳を陶器のコップに入れてくれた後、同じ袋の内部についているバター(?)をチャパティにつけて食べる。 これが濃厚な味で美味しい (あれからヨーロッパでも色々なパンとかバターを食べたけど、あの時のチャパティとバターを食べた時の感激に勝る事は無かった)。 
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それから駱駝で砂丘を通ったりして同じ様な規模の集落を回りクーリーへ戻る。
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クーリーではバグワン・シンの実家にまた通されて、ここで彼の母親の作ったカレーを食べさせてもらう。 日本でもインドでもタリーと呼ばれる数種類のカレーが並べられた定食があるが、ここでは10種類近いカレーの皿が並べられて、これはカリフラワー、これはキュウリ、これは大根とか説明されて全てのカレーを味わう。 野菜の味が濃くて、スパイスの味付けも本当に美味しかった。
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ジャイサルメールへ戻るバスの時間になったのだけど、ジャイサルメールよりのバスが時間通りにクーリーへ到着せず、6時になってやっとクーリーへ着き、ジャイサルメールの町に戻れたのは8時過ぎだった。 バスが到着したバススタンドでは、今日の夜行列車に乗るはずの僕が到着しないので、バグワン・シンが騒いでいて(ノー・プロブレム)タクシーに乗り、ツーリスト・バンガローまで行き、切符を貰い、駅へ急ぐ。 しっかりタクシー代は20R取られたが、電車は既に動いており飛び乗る。 幸いな事に、ここでもビバさんと再会して、女性用のレディーズ・コンパーメントに乗る事が出来た。

列車泊