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Chikirinの「世界を歩いて考えよう!」の感想文 その1


社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!僕としては、懐かしい感情を思いおこさせてくれるくれる本でした。

ソビエト連邦

レストランではリプトンのティー・バックでお茶がサービスされる話とか、ショップでは店員が現金を触らしてもらえる事が出来ず、ショーケースでお土産にする商品を選ぶと、店員が何か紙切れを書いてくれて、これを持って店の片隅にあってガラスで区切られた銀行の窓口みたいなカウンターでお金を払って、それを商品の置いてある場所の店員に渡さないとその商品が貰えない話を読んで、そうそうそうなんだと思わず叫んでしまいました。

僕が最初にこの経験をしたのはは1991年にまだソビエト連邦だった時のモスクワに行った時が最初です。 その後、ポーランドとか東欧諸国に出張した時もホテルでタバコを買う時に、同じ様な手続きが必要だった記憶があります。

1991年の夏にモスクワに行った時は展示会の仕事で、僕はドイツから一週間程出張していたのだけど、ホテルはあのホテル・ウクライナで、古いエレベーターで宿泊階に着くと、小学校の体育館程の何も無い空間があるのだけど、各部屋には古くて狭い粗末なシングルベットが真ん中に置かれている狭い部屋で、大きな冷蔵庫が置いてあって(当然、中には何もありませんが)、電気を入れるとすごい音がして動作した記憶があります。

朝食はレストランの入り口で1ドルが2マルクを払って、中に入りバイキングから選ぶのだけど、冷たいパンとハム、野菜しかありませんでした。

展示会場での昼食は日本から持っていたインスタント・ヌードルにお湯を入れてもらって食べていました。 日本側で展示会の準備をしている時に食料が無いと言う事で、インスタント・ヌードルとか、他の食料品も展示物と一緒に準備してくれていました。

夕食は商社の人が準備してくれたレストランで食事が出来て、ウォッカもありました。 途中から露出した服を着た女性が入ってきたので驚いていたら、彼女たちは外人用の娼婦達で、食事をしている僕たちのテーブルの周りで媚をうっていました。

異国で働く人々の話から思い出した事

「異国で働く人々の話」の章を読んで、僕の経験は1990年にドイツのデュッセルドルフに駐在した時に、インマーマン・ストラッセと言う日本人街があって、駐在した当初は事務所がその通りにありましたが、時間が止まっている空間でした。 比較的年配の人が多いせいか、20年位前の日本のビジネス街の雰囲気で、バブルの東京から来た僕は違和感を感じていました。 外出する時も得意先に会っても恥ずかしく無い恰好をする必要があり、ジーンズでの外出を禁止している会社もあった様です。 日本食レストランとかカラオケ屋があるのですが、働いているのは日本人で一年間の契約でドイツに来て働いているそうです。

海外へ出張しても現地の駐在員と日本食レストランへ行く事が多く、米国でも各地の日本人街へ行ったのですが、どこでも一昔前の日本の雰囲気でした。 最も時差を感じたのが、ブラジル サンパウロのリベルタージで、ここは30年位前? と感じました。

ちきりんさんの本で書かれている様に、店の人と話していても日本語が違う感じがしましたし、 日本料理の味付けも昔の古い味付けで懐かしい感じでした。 ただし、リベルタージの日本料理店での多くは「さくら」と言うブラジルで作られた醤油を利用している為、この醤油が甘い事が理由と思うのですけど。 醤油を直接漬ける刺身とか冷奴に、僕はこの「さくら」の醤油が好きになれずに、後でキッコーマンの醤油を利用している日本料理屋さんを教えてもらい、そちらの方に通いましたけど。