川本三郎 マイ・バック・ページ

マイ・バック・ページ - ある60年代の物語

家の近所のTSUTAYAでもこの本が平積みになっていた。 5月末に妻夫木聡×松山ケンイチの主演で公開されるとのポップと一緒に。 以前にこの本が本屋の映画化コーナーに置いてあって、今になって映画化される事を知って驚いた事をブログに書いた事を思い出して、調べてみたら今年の1月だった。 その時にこの本を読み直そうと思いながらも本棚の中から本が見つからず、今回の地震で倒れた本棚を整理していて見つけて本棚の手前に置いていた事を思い出して、今日、読み直してみた。

僕がこの本を購入して読んだのは、ドイツから帰国してシンガポールへ行く間の1998年か99年だけど、この本は1986年から1987年に雑誌『SWITCH』に連載された記事を一冊にして1988年に刊行された本。僕は連載当時に『SWITCH』を購読していたので、98年か99年に懐かしい思いでこの本を読んだ。川本三郎氏は大学を卒業して週刊朝日朝日ジャーナルの新米記者をしていた25-26歳の頃の思い出をこの連載で書いているけど、86年から87年に『SWITCH』の連載を読んでいた頃の僕も、ちょうど25-26歳の頃だった。

当時の『SWITCH』は時代の流れに背を向けていた僕の友人の間では、知的なオシャレな映画、音楽、文学の雑誌として読まれていた。この連作の中でも、60年代末の映画、音楽が紹介されていて、僕は同時代で聴いていた訳では無いが、10代から20代の頃に熱中して聴いていたので懐かしい。

この連作のテーマは60年代後半の政治の時代の中で、著者は新聞社で働いているジャーナリストと言う安全地帯に身を置きながら、活動家に対しての強い憧れを持ちながら取材活動している姿と、当時の政治体制に対して何かの行動を起さなければならないと言うジレンマが、60年代後半の音楽、映画に惹かれていたが、政治の時代より遅く生まれた僕達、80年前後に学生生活を送っていた友人達と同じ様な視点になっていたからと思う。 著者が政治活動に憧れを持ちながらも政治活動に参加しなかったのは、逮捕等のリスクを避ける自己保身が理由では無く、取材対象の活動家のように政治運動に幻想を持つ事が出来なかったと思うが、政治の時代の後に生まれた『しらけ世代』の僕達の世代も同じ様に、音楽、映画、雰囲気には憧れを持ちながらも、70年代以降の学生運動の顛末を知っており、学生運動に幻想を持つ事の出来ない世代なので。

後半の部分は著者が関わった朝霞自衛官殺害事件の犯人との一連の内容で、事件の前のインタビュー、事件後に再度インタビューをして証拠の腕章を預かった事、朝日新聞社会部では暴力事件と考えて、警察への協力したにも関わらず、著者はこの事件を学生運動の延長上と考えて、赤衛軍を名乗る犯人にシンパシーを抱いた事、犯行に対する疑問、ジャーナリストの良心による警察への協力を拒んで、最後に逮捕されるところまでの個人的な、人間的な苦しみを描いている。 著者が犯人にシンパシーを抱いた理由が、宮崎賢治とCCRと「真夜中のカウボーイ」の「I'm scared」の話とか青っぽい話が続くのだけど、何か隠しているような書き方である事に読み直して感じた。

この本には朝霞自衛官殺害事件の背景と世論に対する影響への説明が不十分で、なぜ著者がこの事件に関わった事を封印したのかが分かりづらいが、この本に出てくる人物、事件をネットで調べながら読むと学生運動が一般の学生、インテリ層から支持されていたのが、浅間山荘事件、連合赤軍等の過激な運動へ変化している中での、この事件が学生運動へ対する世論を変えるターニング・ポイント的な事件であり、朝日ジャーナルの記者である著者の関与がマスコミでの取り上げ方を通して、学生運動へ対する否定的な世論形成に影響を与えた事が著者が封印した理由と思う。

本の中でもはっきりとした事を書いていないが、この事件の黒幕として京大の滝田修に対して逮捕状が出て、彼が10年間も逃亡生活を送っていた事を考えると、この後半の三章が曖昧な内容になっている事も仕方が無いのかな。