アメリカ 幻想の70s

久しぶりに昨夜はTVを見る。NHK BSの大滝詠一の特集番組の後、そのままTVを点けていて、この番組を最後まで観てしまった。

私はサブカルチャーという言葉は、私が海外に住んでいた90年代に出来た言葉なので、この言葉に慣れておらず違和感を感じている。

この放送を観ながら、『そうだよな。昔は、カウンター・カルチャーと言う、言葉だったよな』と一人でツッコミを入れながら観ていた。

この放送では70年代に作成された映画を通りして、アメリカの60年から70年台に何があったかを解説。

アメリカが最も輝いていた時は1962年。アメリカン・グラフティの時代。

1968年のベトナム戦争の泥沼化、黒人民権運動、ケネディ、マルチン・ルター・キングの暗殺。

一つにはアメリカの歴史の流れがあり、もう一つにアメリカの70年台の流行がある。

ノスタルジーとしてアメリカングラフティ。

ベトナム戦争の後遺症、工業国家としてのアメリカの地域格差を描いたディア・ハンター

70年代のアメリカの精神の行き詰まりを描いたタクシー・ドライバー

未知との遭遇JAWSの映画の背景

新しいアメリカン・ドリームとしてのロッキー

本当はアメリカの社会を描いたゴッド・ファーザー

やはり、アメリカの文化は私より10歳ほど年長の1950年生まれの人のライフかなと思って観てしまった。 幸せな10代の前半の少年時代(60年代前半。工業国として社会全体が豊になる)、10代後半の反抗期から政治への目覚め(60年代後半。工業国としての競争力の低下)、行き詰まった20代(70年代)。そんな流れの中で、揺れ返し、ノスタルジーとして、アメリカングラフティがあって、ロッキーがあった。

工業国としての競争力の低下が米国内での地域格差、同じ白人内での経済格差、黒人文化。ここでは描かれていなかったが、ヒスパニックとか、アジアも入ってきて、アメリカは大変と思う。ゴット・ファーザーもイタリア系移民の視点から見てみる事が出来る。米国自体が、元々、ヨーロッパからの移民と考えた見方もあるけど。

結局、何が言いたかったと言うと、結局、この放送はサブカルチャーについての番組で、空白の70年代と言われることもあるが、実は空白では無かった事を言いたかった様です。 

私にとって70年代は多感な10代の時期で、地方で中学生、高校生を過ごしながら地方の映画館でも上映されるロードショーを見ていた時代(個人的に振り返ってみると、その後、大学に入ってからはロードーショーを見なくなっていたので)、今回、紹介された映画もロードショーで一作目は、当時の友人と観ており(あの頃は、まだ一人で映画館へ行く事に抵抗があったし、高校の中間試験とかが終わって、制服姿で映画館へ行くことが娯楽だった)見、ており70年代にコッポラとかスピルバークが何を考えて映画と撮っていたかを考えさせられた番組だったし、個人的には日本の地方の中学、高校で何も知らず(実際にアメリカに行った事も無く)見ていた米国映画を、歳をとって、少しは経験を得た今(アメリカでは住んだことは無いけど、大学時代2ヶ月間とか、その後の出張経験)、見直してみると違うのだろうなと思いながら。 最近、少しずつ読み直している植草甚一のエッセイと同じで。